
チュナン富士に囲まれる高原
はじめまして、饗庭孝昌(あえば・たかまさ)です。5 月末、オンドン・ルッセイ村に着任しました。マンゴーの季節に間に合い、約1 ヵ月間、ほぼ毎日マンゴーを食べていました。
さて、富士山といえば日本の山の代名詞。各地に○○富士とよばれる名峰がありますが、コンポンチュナンの街からこの村へ通う道すがら、「チュナン富士」を見つけました。赤い砂利道を進んでフッと視界が開けると、正面に小ぶりながらも形の良い山がポコンとあります。
ある日、バイクで山の方へひたすら近づいてみました。山に近づくと道はどんどん悪くなり、ついには大きい水たまりに行く手を阻まれてしまいました。
バイクを手で押して進もうかどうしようか思案していると、田起こしに来ていた青年が「どこへ行くの?」と尋ねてきました。「山」と答えると、手の甲を外に向けてバイバイ、腕でバッテンをつくって道が違うと教えてくれました。これは大きい十字路まで戻れ、という意味です。そこで十字路まで戻り、そこから山の方角へ向かって右折すると、確かに目的地にたどりつきました。それにしても山といってもいろいろあるし、ほとんど言葉を理解しあっていないのに意思が通じるのは、爽快(そうかい)なことであります。
たどりついた場所は、まるで夏の信州のような雰囲気の「チュナン高原」でした。油絵で描いたような、きらきらとして明るい光に満ちていました。数キロ四方と思われる台地のまわりを、少しずつ形の違う「チュナン富士」が5 つ6 つ取り囲んでいる様子は壮観でした。
周囲に軽石状のものがゴロゴロしているので、素人考えで火山だったのかな、と思っているのですが、確かめる術(すべ)がありません。それが分かったところですぐに役に立つわけではないのですが、情報や経験が積み重なるとどこかで繋(つな)が
ることもあります。オンドン・ルッセイ村が、どの様な窯業地に成長するかとも全く無関係ではないでしょう。
饗庭さんは、栃木県益子の陶芸家。41 歳。素焼きの鍋で知られるコンポンチュナン州オンドン・ルッセイ村で、陶工たちに釉薬(ゆうやく)を使った陶器製造技術を伝える専門家として同州に滞在中です。村には、栃木県益子の国際陶芸協会の支援などで完成した登り窯があり、それを活用する形で日本財団の「カンボジア伝統陶器プロジェクト」が2009 年に開始されました。饗庭さんは、岩見晋介さん、北村工さんに続く3 代目の長期滞在専門家です。
2011.8-9月号(第54号)掲載