2003年のNyoNyum創刊当初から連載している「ボンユキエッセイ」。
カンボジアに長年住むと街の移り変わりが見えてくる。
おもしろくもあり、どこかもどかしくもある。
通訳、翻訳、会社経営に奮闘中のボンユキこと山崎幸恵がおくるカンボジアあれこれ。
今回は、どんなお話なのでしょうか。
ニョニュム20年を振り返ってみよう!Part1
前号で19周年を迎えたニョニュム。来年は20周年の年となります。そこで、この20年、私たちが何を見てきたのかを振り返ってみようかな、と思いました。今回はPart1として、2003~2007年を振り返ってみます。
ニョニュムが生まれたのは、1994年からカンボジアに渡り生活してきた私が、日本でのカンボジアの「負のイメージ」がなかなか消えないことに苛立ちを覚えたからです。PKOが派遣されたり、UNTACによる総選挙が行われた前後は、そういう画一的なイメージを報じるほうがインパクトがあるのでしょう。
実際に私もその報道を見てカンボジアを知り、興味を持った「一視聴者」でした。でも、生活をしていると、そこには日本のマスメディアでは見られない「日常」があり、「文化」があります。
2003年に日本とカンボジアの外交関係50周年を迎えるということを聞き、その当時もまだ「負のイメ
ージ」が主流だった日本の報道を見て、日本人がカンボジアを単に「かわいそうな国」と思い続けるのはどうなのかと思い、マスメディアのような影響力はなくとも、せめてカンボジアに来た人、興味がある人に「カンボジアの今」を伝えたい。そういう思いからこのニョニュムが生まれました。
50周年を皮切りに、これから多くの日本人がやってきて、ビジネスや観光などでカンボジアに関わるだろうから、文化の違いによる摩擦を減らすためにもこの国の姿を伝えることに意義がある。そう思いました。どのようなインパクトがあったかはわかりませんが、ニョニュムはスタートしました。でも、大きな障害となったのは、カンボジアの「政治的安定」でした。
2003年にプノンペンで爆破事件が起きたりと、政治的な不安定が投資や観光といった流れを鈍らせたのは確かだと思います。それほど日本人の数が増えず、日本の雑誌に広告を載せる会社も少なく、経済的な理由から月刊誌として発行したニョニュムは次の年から隔月の発行となりました。
それからゆっくり、ゆっくり、カンボジアは動き始め、少しずつ経済成長が見られるようになります。
その、ゆっくり、ゆっくり流れる「カンボジアの今」を伝えたのが、ニョニュム20年の歴史の最初の5年間だったのかもしれません。
でも、その「ゆっくり」はニョニュムにとっても良かったと思います。それは、ニョニュムを作る「人材」が育っていなかったから。雑誌作りのノウハウもそうだし、自分の国のどういうことを伝えたいのかというスタッフのアイデアもまったくと言っていいほどありませんでした。なので、カンボジア好きな日本人が中心となり、ついてきてくれるカンボジア人スタッフのお尻を叩きながら(!?)のニョニュム発行が続きました。(次号へつづく)
Cambodia Joho Service 代表
/日本カンボジア通訳翻訳家
神奈川県出身。在カンボジア歴、足掛け28年。
翻訳、通訳のほかカンボジア関連のアレンジやコーディネートを手がけることも。
仕事に追われつつも、大好きなビールは絶対に欠かさない。
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