(日本語) 【長期連載記事!ボンユキエッセイ92】因縁の沖縄
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2017.12.30

2003年のNyoNyum創刊当初から連載している「ボンユキエッセイ」。カンボジアに長年住むと街の移り変わりが見えてくる。

おもしろくもあり、どこかもどかしくもある。

通訳、翻訳、会社経営に奮闘中のボンユキこと山崎幸恵がおくるカンボジアあれこれ。

今回はお仕事等で度々訪問している沖縄でのお話です。

 

因縁の沖縄

7 月、8 月、9 月に続き、11 月も日本での仕事。今度は研修ではなく、2007年当時の安倍首相が東アジアサミットかなにかで発表し、10 年前から続いている青少年の交流プログラム。この仕事で数百人のカンボジアの子供から大人までを引率してきたボンユキ。

今回は空手の子供たちの交流のために、東京、沖縄でのプログラムを引率することに。沖縄は空手の発祥の地ということもあり、その発展の歴史から意味合い、様々な流派のお稽古まで、それはそれは濃いプログラム。

体を動かしている子供たちを見ながら、ああ、私も若い頃からこういった運動をしておけばよかったと、こっそりホテルの部屋でみんなの動きを真似してみたり(笑)。

さて、子供たちがホームステイにいっている間のほんのつかの間の自由時間に、那覇の国際通りやその一角の市場を駆け足で回ってみた。いろいろなお店に入ると、「どちらから来たの?」「沖縄は何回目?」と声をかけられ、そういえば私、沖縄何回目だっけ?と考えてみた。

直近では5 年前に、コンポンチュナンのプロジェクトの日本研修で、栃木県の益子町と沖縄県の読谷村での研修があり、その事前調整と研修本番で2 回訪れている。この記憶ははっきり覚えている。

だが、お店の人との会話で「3 回は来たことがあるはずなんですよ」と答えているものの、その1回目がいつだったのかがどうも思い出せない。

なんだっけ?もう一回…。

日中はプログラムが盛り沢山すぎてドタバタし、会社の事務連絡やら他の通訳の調整やらは夜な夜な、というより明け方早く起きて集中する日々。

そしてある明け方の作業の時に、ぱっと蘇る1回目の沖縄の記憶。

なんと、1回目は20 年前の7 月から1 ヶ月間、那覇市のユースホステルで住み込みバイトをしていたんだった!

なぜそんなことになったかというと、あの時はプノンペン大学の1 年生の学年末テストが終わり、夏休みになったからだった。

いや、沖縄でバイトをしに行く予定はなかったのだが、なんと帰国をした3 日後に、プノンペンで戦闘が起きて飛行機が運休、戻るに戻れなくなったからだったのだ。不安を抱えながらも、当時はネットもなく情報が入ってこない。家にいても親が心配するし…。

たまたま沖縄にいたカンボジア青年海外協力隊の先輩隊員に誘われ、逃げるように沖縄へ渡ったのだ。

明け方の事務作業をしていて蘇ったこのちょっと苦い20 年前の記憶。

そして4 回の沖縄訪問の全てがカンボジア絡みという因縁に思わず身震い。

次回は絶対プライベートのバカンスで行くことにしよう!

 

〈ボンユキ・プロフィール〉

Cambodia Joho Service 代表/日本カンボジア通訳翻訳家
神奈川県出身。在カンボジア歴、足掛け25年
翻訳、通訳のほかカンボジア関連のアレンジやコーディネートを手がけることも。
仕事に追われつつも、大好きなビールは絶対に欠かさない。
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