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NyoNyum105号特集:①時空を超えて受け継がれる天女の舞

昨年11月18日、故ノロドム・シアヌーク前国王の長女であるノロドム・ボッパーテヴィ王女が逝去されました。

王女はカンボジアの古典舞踊(宮廷舞踊)を広く国内、世界に広めたことで大きな偉業を成し遂げた方です。

その功績に心からの敬意を表し、カンボジアの舞踊にまつわるあれこれをお伝えします。

時空を超えて受け継がれる天女の舞

古今東西、人類はさまざまな表現の手段として「踊り」を生み出しました。

日本でも、神話の時代から神事のために行われてきた「舞踊」。

崇高な行為であったそれは、時を経て伝統芸能として広まり、一般の人々にも親しまれるものとなりました。

ここカンボジアでも、ヒンドゥー教の神話が伝わり、文明が栄える中で舞踊も発展し、古代では踊り子は「天界と地上界をつなぐ使い」とされてきました。

カンボジア舞踊の起源~アプサラの誕生~

アンコールワットの壁画に描かれているアプサラ

アンコールワットの壁画に描かれているアプサラ

「アプサラダンス」は、カンボジアの古典舞踊の代表的な演目。

カンボジアに来たことのある、住んだことのある人なら、誰でも一度はどこかで鑑賞をしているのではないでしょうか?

このアプサラダンスは、インドの神話「乳海攪拌」の中で誕生したと言われる天女「アプサラ」を、舞踊の中で表現したものです。

アンコール遺跡の壁画には、アプサラの彫刻が至るところに描かれています。

乳海攪拌は、アンコールワットの第一回廊東側の南半分に描かれています。

バンテアイクデイ遺跡のアプサラ(左) アンコールワット「乳海撹拌」図(右)

バンテアイクデイ遺跡のアプサラ(左) アンコールワット「乳海撹拌」図(右)

ヴィシュヌ神の化身であるクールマ(亀)の上にマンダラ山を置いてナーガを絡ませ、神々と悪魔たちが引っ張り合う。

1,000年以上続いたその大綱引き大会で海中がかき回された末に、不老不死の薬「アムリタ」が発生しました。

アムリタは悪魔の元に落ちますが、ヴィシュヌ神が絶世の美女ラクシュミーになってその薬を奪い、神々が永遠の命をものにしました。

アプサラたちはそれを祝福し、その後は天界の踊り子としてインドラ神に仕えたのです。

アプサラたちの踊りはアンコール時代に大成し、代々受け継がれてきたといいます。

しかし、シャム(タイ)の侵攻に伴いアンコール王朝が滅亡すると途絶えてしまい、19世紀のフランス統治下で「宮廷舞踊」が復興されたと言われています。

王宮では壁画と同じような美しい女性たちが舞う、さまざまな演目が生み出されました。

古代クメールの遺産を護る王族たちの活動

シソワット・コソマ女王(右から 3人目)

シソワット・コソマ女王(右から 3人目)

現代に至り、故ノロドム・シアヌーク前国王の父にあたるノロドム・ソラマルット王の王妃であるシソワット・コソマ女王は、「宮廷舞踊」としてクメール舞踊を保護し、各国からの賓客を迎える際に王宮内で披露していました。

そして、孫娘のノロドム・ボッパーテヴィ王女にアプサラダンサーとなるべく訓練を施しました。

シソワット・コソマ女王(左) ノロドム・ソラマルット王とシソワット・コソマ女王(右)

1950年代、ソティアロス学校の校長であったノロドム・ソラマルット王の妹、ノロドム・レスマイサォポァン王女がアプサラダンスを確立したと言われています。

王女は毎年、年末の時期に学生たちに演じさせ、舞踊を奨励していきました。

1970年代初頭の政変で誕生したロン・ノル政権期には、「宮廷舞踊」という名が変えられ、「クメール古典舞踊」と呼ばれるようになったといいます。

ポル・ポト時代が終わってからもこのクメール古典舞踊という呼び方が続き、今に至っています。

政情と時代に伴って、元々王族の監視下に置かれていた宮廷舞踊が、庶民も身近に接することができるようになり、カンボジア庶民のための舞踊となっていったということが、「クメール古典舞踊」という呼び名からもうかがえます。

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