プノンペンからコンポンチュナン州へ向かう道中、王立プノンペン大学最初の外国人私費留学生である「ボンユキ社長」こと山崎幸恵(『NyoNyum』発行人)と、今年7月に王立プノンペン大学での交換留学を終えたばかりの弊社インターン、助川菜々子の留学生対談が実現! ボンユキ社長の留学について振り返ります。
首相宛ての手紙を持ち込み。初めての私費留学生に
ななこ(以下「な」):私は交換留学で1年間しか留学してないのですが、山崎さんは4年間王立プノンペン大学に留学されていたんですよね?
ボンユキ社長(以下「ユ」):そうよ。当時はまだ私費留学制度が王立プノンペン大学になかったから、首相宛の手紙を書いて、教育省に持って行ったの。そしたら教育省で私のために緊急会議が開かれたみたい(笑) そこで教育省が留学を認めてくれて、王立プノンペン大学も受け入れをしてくれたの。
な:すごい! 山崎さんの熱意が伝わったんですね。ところで、私は留学期間中は制服を着ていましたが、山崎さんが留学していた時も制服はありましたか?
ユ:着ている子もいたけれど、義務ではなかったから私は私服で通っていたかな。自転車で大学まで通っていたのだけれど、車通りも少なくて当時はとてものどかなプノンペンだったのよ。毎年火炎樹の花が咲くとそろそろ進級だなあ、って感じてたわ。
な:「のどか」と「プノンペン」が私の中では結びつかないです……(笑) そんな時代もあったのですね。当時は一人暮らしをされていたのですか?
ユ:そうよ。月100ドルの長屋のようなアパートに住んでたの。午前中は授業に行って、午後は家で勉強。節約生活をしていて、毎週土曜日にまとめて買った塊のお肉を切って冷凍して、毎日味付けを変えて食べてた。その分、本を買うのが好きでよく買ってたの。
な:学生の鏡ですね!
プノンペン情勢と大学生活
ユ:私が留学を始めたのが1996年なのだけど、1997年にプノンペンでラナリット第一首相派とフンセン第二首相派の武力衝突が起きたの。その時たまたま私は長期休みで日本に帰国していたのだけど、テレビでニュースを見てびっくり! 携帯もあまり普及していないなかで、友達の安否確認はなんとか取れたのだけど、アパートに置いてきた本が心配で心配で……。
な:突然のことだったのですね。本は無事でしたか?
ユ:周りの人たちはなんとなく衝突が起こることは感じていたみたいだけど、外国人の私は全く分からなかった。武力衝突が起きてから3カ月後にやっとカンボジアに戻れて、アパートに帰ったの。そしたら大家さんの親戚のまっちゃん(某お笑い芸人に似てるから)が周りの人たちが避難するなか、アパートを守ってくれていたみたいで本は無事だった。「俺が守っといたぞ」っていわれてちょっとキュンとしちゃった(笑) まっちゃんとはそのアパートに住んでいる間よく話していて、それでクメール語もだいぶ伸びたの。
な:まっちゃん…‼︎ 素敵ですね。留学先で武力衝突発生は本当に怖いですね……。プノンペンの情勢も、プノンペン大学もその時と今ででは違う部分もあると思いますが、当時の大学の授業はどのような感じでしたか?
ユ:私が留学していたころは、先生たちの給料が今よりも低かったから、みんなアルバイトをしながら教師をしていたの。だから授業に遅れて来たり、来なかったりするのは当たり前だった。だから生徒たちのモチベーションもそこまで高くなくて。クメール語だから授業の内容も全部は分からなかったし、みんなが笑ったら、よく分からないけど私も合わせて笑ってた(笑)
な:今もカンボジアの先生たちの給料はあまり高くないと聞きますが、当時はアルバイトをしなければいけないほど低かったんですね。周りに合わせて笑うのは私もやっていました。留学生あるあるですね(笑)
直談判で道を切り開く
ユ:でも最後は首席で卒業したのよ。
な:留学生なのに首席卒業したんですか!?
ユ:卒業するのに、卒業論文か卒業試験かどちらかを受けないといけないんだけど、留学生の私がクメール語で試験を受けるのはカンボジア人と比べてハンデがあるでしょう? それなら時間をかけてコツコツできるから、卒業論文が良いと思ったの。でも、卒業論文を選べるのはだいたいクラスの中で成績がいい10人くらいだったのよ。しかも、単位を全部取れてる人しか書けないことになっていて。私、実は1つだけ単位を落としていたの。
な:えー! それでどうしたんですか?
ユ:先生に直談判しに行った。だって、その単位を落とした授業、先生がほとんど来ない授業だったの。それを言ったら、「先生たちだって苦しいんだよ……」って言われて、給料が低いってこういうことなんだって愕然としたわ。お金が回らないと先生も生徒もやる気がなくなるのよね。「だったら私がお金を渡したい!」ってとっさに言ったら、先生も苦笑いしてた。
な:なるほど……。
ユ:でも、相談した先生が私の熱意を認めてくれて、論文を書けることになったの。
な:何についての論文を書かれたんですか?
ユ:日本とカンボジアの文化比較についてがテーマで、それぞれの冠婚葬祭について調べたの。最終的に100ページ以上になったわ。それぞれ冠婚葬祭のやり方が違うだけで、結局本質は同じなんだってことが分かったの。
な:興味深いです。その論文が学年で一番評価されたということですか?
ユ:そうなのよ。卒論発表会で発表をするのだけど、発表が終わって、日本の文化について良く分かったし、留学生でここまで書けるのは素晴らしいって高く評価してくれる先生もいれば、いろいろと突っ込んでくる先生もいて。ある女の先生が、「カンボジアで伝統の結婚式をしなかった夫婦がなんて呼ばれているか知っていますか?」って私を試してきたの。実は卒論発表のちょうど1週間前くらいにその話をたまたまクラスメイトにされていて、「あ! これだ!」と思って答えたのよ。そしたら聞きに来てくれたクラスメイトたちが、わー! って盛り上がって拍手喝采(笑) それもあって、10点満点中9点台の評価をもらったの。その時9点台を取ったのは私しかいなくて、1位だったのよ。
な:素晴らしいタイミング! それにしても、クメール語で論文を書いて、発表もされたなんて本当にすごいです。4年間の留学生活の集大成ですね。
「出会いは大切にしてほしい!」
ユ:留学も、仕事も「私はこれをするべきなんだ!」っていう気持ちでほとんど迷いなくまっすぐ進んできたのだけど、本当にいろんな人との出会いと支えがあってこそ出来たことだと思うの。今でも出会いが自分のやりたいことを叶える一歩になることがたくさんあるし、出会いは大切にしてほしい!
な:山崎さんの熱意とそれを人に伝える力が周りの人を惹きつけているのですね。海外では特に出会いは大切ですよね。私もこの1年間での出会いを大切にしていきます!